ピアノへの想い

私が読者登録をしている方がピアノのことを書かれていて、私もこの想いを書いてみたくなった。。

私がピアノを手放したのは、一昨年の8月。

6歳~18歳頃まで習っていて、習い始めた頃に母が買い与えてくれたピアノ。。
YAMAHA製のアップライトピアノだった。
習うのをやめた後は、ほとんど弾いていないのが現状だった。

実家を建て直すことになり、新しい家の間取りを考えていく中で、ピアノを置く場所を確保出来なかったのが主な理由だった。

住宅メーカーの設計士さんと、間取りについての話し合いをする際に、私(実家暮らし)がそこに立ち合うのは、主に自分の部屋の詳細を決める時だけだった。

改築をするに当たり、家の中の何を残して何を手放すのか…この頃、そんな議論を我が家では毎日していた。

私が生まれるずっと前に亡くなった曾祖母の桐箪笥までが眠っている家だったので、物の処分が改築に当たっての一番の課題だった。

物を必要最小限に留めた『スッキリ』とした家!
これが、新しい家に求める母の条件だった。

そんな中、さてピアノはどうするか?という話題になった時、私は「残せるなら残したい」という考えを一応主張してはいたが、母希望の『スッキリ』を叶えるべくして考えられた間取りには、ピアノの居場所が無くなってしまった。

親と住宅メーカーとの話し合いで、1階部分の間取りが確定したタイミングで「ピアノはやっぱり無理や」と父から伝えられた。

親の終の住処。
特に母は、私が中学生ぐらいの頃からずっと憧れていた新しい家だ。

うちは長男である父が自分の両親と同居していた、いわゆる二世帯だった。

私が生まれた時は、両親・兄・祖父母との6人家族だった。

祖父は今から25年前に亡くなり、祖母は5年前に亡くなった。

祖母が亡くなった事で、いよいよ気兼ねなく家を建て替えられるタイミングが来たってワケだった。

母が待ちに待ってようやく叶えられる新居。そこにピアノの居場所がないのであれば、もう潮時か。。

私はそう考え、ピアノを手放す決断にも静かに首を縦に振った。

そこで問題は手放す方法。業者に売るのか?誰かに譲るのか?
私は、近くに住んでいる従兄弟の家に置けはしないか?と一応提案してみた。

従兄弟には中学生の娘がいて、法事でうちへ来た際、喜んでそのピアノを弾いていたのが印象的だったので。

しかし従兄弟からは、あっさり「要らない」と言われてしまった。。

そうなると、業者に売るか…ということになり、
父がCMでも有名な某ピアノ買取業者へ連絡した。

「8月◯日に引き取りにくるで」
と言われた。

私はその前日、せめてピアノにお別れをしたいと思い、自分が好きだった曲を目一杯弾いておこうと、ピアノの置いてあるリビングへ行った。

リビングでは母がテレビを見ていた。

誰かがテレビをつけている時、普段は弾こうという気にはなれなかったが、今日ぐらいはいいだろう!と少し強気な気持ちで「ちょっと弾くよ」とだけ母に言い、弾き始めた。

母は、ふーん、急にどうしたのよ、という感じだったが、構わず弾いていた。

しかし…指に力が入らない!
習っていた頃は、毎日練習する!という約束で習わせてもらっていたのもあり、基本的に毎日弾いていたのだが、辞めてしまってからはほとんど弾いていなかった。

毎日弾いていた頃って、あんなにも無意識に指が鍛えられていたものか…と、思うように動かない指に少し愕然としていた。

しかし、そうやって30分、1時間と弾いていると、自分の中に眠っていた『感覚』が次第に呼び覚まされ、ぎこちなかった指の動きが次第にスムーズになり、なかなか曲らしい音色になってきた。

気付けば母はテレビを消していて
「だんだん上手になってきたわね」
と、ピアノの音色に聞き入っていた。

やがて父が外出先から帰って来た。
ピアノを弾いている私に驚いたように
「また弾きたなるんちゃうやろな…(明日引き取りに来るのに)」
と言ったが
「もう置く場所ないやろ?今日はお別れ演奏会。」
と、弾きながら答えた。

私の弾く姿に呆然とするように、父もしばらくピアノの音色に聞き入っているようだった。

そして
「なかなか弾けてるやんか…」
と言ったが、私の中ではとても人に聞かれるのは恥ずかしいレベルだった。
そりゃ、何年も弾いていなかったものですから。。

習うのをやめてから弾かなくなってしまい、弾かなくなるとますます人に(家族でさえ)聞かれるのが恥ずかしくなり、どんどん弾かなくなってしまっていた。。

ピアノは何せ音が大きい。
習っていた頃は、あまり遅くなると近所迷惑になる!と母はとても神経質に一定時間以降の練習を禁止していた。

けれどもそうでない時間は「毎日練習するのが義務!」という状況もあり、誰かがテレビを見ている横でも強気に弾いていたものだった。

けれどその『義務』がなくなると、弾く理由がなくなってしまい、最後には『巨大な置物』化してしまっていた。。

親は、ピアノをやめてからほとんど弾いていなかった私に、きっともうすっかり弾けなくなってしまっているだろう、と思っていたのだと思う。

娘は名残惜しさだけで「残したい」などと言っているが、巨大な置物を置く場所までは確保できないぞ!
残念だが、もう手放そう。

きっと、親の考えはそんな感じだったのだと思う。

結局その日は6時間ほどもピアノを弾いていた。
そして弾けば弾くほど、母はもっと!もっと!と、とても聞きたがっていた。

母は「なんか…生きてるみたいやわ」と言っていた。
私も、この時初めてそんな気がした。

耳で聞こえる音だけでなく、空気の振動、鍵盤から伝わってくる感触、全てが併さって『音』を奏でている。
ピアノとはそういう楽器だな、と。。

さすがに体力が尽きた時にはもう20時を回っていた。

これ以上はもう近所迷惑か。。と蓋を閉じ、ボンヤリしていた所へ母がやって来た。
「もう終わり?」
と聞かれ
「うん…時間的にも、もう近所迷惑でしょ?」
と言うと
「いいよ、まだ。今日が最後やし。。」
と言われた。

父は隣の部屋でテレビをつけていたが、どうやら意識はずっとこっちに向いていたらしく
「なかなか覚えてるもんやな」
と言った。
「一度体で覚えたものはそう簡単には抜けないよ」
と、力尽きた状態で答えた。
すると
「普段からもっと弾いてれば良かったのに」
と言われたので
「弾く時間がないんよ…」
と答えた。
「残すなら残すように間取り考えたのに…」
と言うので
「考えたやん…。けど、どうでも間取りに無理がでてくるから、手放すことになったんでしょ。。」
と言うと、なんだか複雑な表情を浮かべていた。

きっとこの時の父の頭の中では、手元に残したいのなら、今ならまだ間に合う!ということだったのだと思う。

私自身も瞬時にそれを察知し、本当はそうしたい気持ちに傾いていた。。

…しかし!!新居の間取りはもう決まってしまっている。
置かない前提で考えた間取りに無理矢理ピアノを置いてしまうと、結果的に無理をしてしまうことになる。。

それを考え、心を鬼にした。
「明日いなくなるから、お別れに弾いてたんよ。またどうでも弾きたくなったら、電子ピアノでも買うかもしれないけど。」と答えた。

父は「(今日弾いていたのは)それだけ?」
と、私の本心を探るようにそう言ったが、私は本当にそれだけだ!と、答えを変えなかった。

…要するに。。

それぞれにピアノへの想いはあった。
けれどそれが長年、すれ違ってしまっていた…。
そしてその事に、この時初めて気が付いた。。

「ピアノを手放す」という決断をした段階では、

親の認識:誰も弾かないピアノまで置く場所を作る余裕はない

私の認識:置く場所のないピアノを無理に残すわけにはいかない

親と私のピアノへの認識は、ズレてしまっていた。。

翌日、引き取り業者の人が来た。
70代ぐらい?と思われる、なかなかご高齢な男性二人組がいろんな機材を駆使して、あっという間に運び出して行った。。

トラックに乗せられるところまでついて行き、運ぶ作業をずっと見ていた私に、業者の男性が声をかけてくれた。

「お嬢さん、このピアノどれぐらい弾いてたの?」
「6歳の頃から弾いてました。昨日はお別れに6時間弾きました。アジアの方へ行くんですか?」
と聞いた。
日本の中古ピアノはよくアジアの方へ行くと聞いていた。

「もしかしたら、ヨーロッパへ行くかもしれませんよ。なかなかいいピアノなんでね。」
と言われた…。

そうか…。そうだったか。。
6歳児の私は何も理解していなかった。

確かにピアノを習う習わないの話になった時、母はなかなか葛藤していたという事を後になってから聞かされていた。

本当にやる気があるのか?すぐに飽きて辞めてしまいはしないか?そもそもピアノは高い。。

それを祖母に相談したところ、習い事は6歳ぐらいで始めるのがいいと聞く。本人がやりたいと言うのなら、やらせてやった方がいいだろう、と言われて決断した、と。

そして、どうせ習わせるなら、いいピアノを購入しよう!ということでなかなか奮発してくれていたのだった。。

決して、私だけのピアノじゃなかった。
我が家の中心で、巨大な置物にさせてしまい、さぞ寂しい思いをさせてしまった。。
ピアノにも、両親にも。

そんなどうしようもない複雑な感情がこの時の私の中に込み上げて来て、涙がボロボロ流れた。。

そんな想いとは裏腹に、ピアノを載せたトラックは、走り出して行ってしまった。。

ちょうどそれを見送った時、近所の女性が通りかかった。

父が、ピアノを売って今引き取りに来てもらったところだ、と説明すると
「◯◯会館(町内会館)で、時々ミニコンサートをやる時に、ピアノがないもんだから、演奏者の人が自分で持って来ないといけなくて…。寄附してあげたら喜ばれたのにねぇ。私も(うちがピアノを手放すことを)知らなかったもんだから、知ってたらもっと早く言ったんだけど…。」
と言われ、両親と一緒に呆然としてしまった。。

ピアノの引取代金は、作業員の男性からその場で現金で手渡されていた。

その代金を、父は済まなそうに私にくれた。
「お前のピアノやから…」
父は父で、私への罪悪感でいっぱいのようだった。。

ピアノがなくなって広くなってしまったスペースが受け入れきれず、1週間ほど呆然としてしまった。

その気持ちをどうしようか?としばらく考えた私は、ピアノと引き換えに得たこのお金は、今後何があってもピアノ以外のことに使うのは絶対にやめよう!と心に決め、今は自分の部屋に置ける電子ピアノの購入を検討している。

せっかく幼少期に親が習わせてくれたピアノ。
それを今後の趣味にしていけたら、習ったことも、手放したことも、決してムダにはならない!!

そう考えている。

できれば、売ったお金を丸々使って買える価格帯の電子ピアノ。

購入したら、また書きます。

あれから約1年半。。
あのピアノ、今頃はヨーロッパにいるのだろうか?
弾いている誰かを、幸せにしているのだろうか?

今はそれを心から願っている。。

錠剤って、飲めます?

さてさて、治療が上手くいってきてて、上向き加減なこの頃↑↑↑

しかし、、一つだけ難点がある。。

私、錠剤が苦手なのです…( ̄▽ ̄;)

今の薬、一粒150㎎×2錠を朝・晩と服用するのだけど、なかなか上手く飲めない。。

飲める時は飲めるのだけど、5回中3回は失敗する感じで…(_ _;)=3

失敗と言うのは、飲み込むタイミングが掴めないまま口の中で溶け出してきてしまい、しまいには噛み砕いてしまうという。。

最初に処方された時、薬剤師さんにその旨を確認したところ
「あぁ、、一応溶け出す時間も考慮して作られているので、出来れば砕かず飲んで頂きたいのですが、、けど、まぁ、毎回でなければ大丈夫だと思います。。」
と、なんとも苦しい了承を得た感じで。。

主治医の先生にも訴えたが
「…まぁ、頑張って。」
と半ば聞かなかったフリをされ。。

噛み砕いてしまうと、もちろん口の中はこの世の物とは思えない味が広がってしまう…"(-""-;)"

けどそれ以上に!薬の効能が下がってしまうのは本当に、本当に、困る!!!

今のところは順調に効いてくれてはいるからヨシかとは思うけど。。
ただ、噛み砕いてしまうことで、本来の効能が何割か下がってしまっている可能性は否めず。。

この悩みは一体どうしたものか?と、ネットで検索すると、既にこの薬を服用されてる方のブログ等がちらほら出てくるのだけど…誰も「粒が大きくて飲み辛い」という人はおらず。(そりゃそうか…)

そもそも、飲みやすくする為にこの形で作られてるはずが、逆に飲みにくくなってる私のような例外人間のことなど、薬を作る段階では考えられていない。

要するに、私は『嚥下力』が弱いのも原因の一つかと思う。
※ちなみに高齢者ではありません。

実はこの悩み、小学生ぐらいからでして。。

小学生と言えば、そろそろ錠剤やカプセルが飲めて当たり前になる年頃。

そんな中、私はいつまでも飲めず。。

「大人になって命に関わる病気になった時に、まだ錠剤が飲めなかったらどうしよう…orz」
と、ヒドく思い悩んでいた。。

あまりに落胆する私に母は
「いいじゃない、飲めなくても。大丈夫よ。生きていけるいける!」
と励ましてくれていたが。。

ついにその心配していた時が来てしまったよ…(~_~;)

今や幼児or高齢者向けの服薬用ゼリーが売られている。
試したことはないが、私はあれで飲める気がしない。。

いつもやるのは食事の時。
食べ物と一緒に飲み込む作戦!
しかしこれでも、飲めない時は飲めない…(_ _;)

飲むのに苦労している私を見て、父は不思議そうに
「なんで飲めないんや?飲んだらいいんや。」
と、元も子もないことを言う(ノ-"-)ノ~┻━┻。

これを読んでも理解できないあなた!
私はそんなあなたが死ぬほど羨ましいですよ。。

…なんか、ヘンな内容?でスミマセン。。

ブログを始めた理由⑤

「まだ死ななくてもいいのかも…」
そう思った時、涙が出てきた。。
そんな自分に、やっぱり死にたくなかったことに気が付いた。

死ぬ覚悟はもう決めていたつもりだった。
正直、もう死ぬのかもしれない…って思った途端に、ラクになった部分もあって。。

親の介護、老後の資金、そしてそれまでに直面する諸々のストレス…。

その問題に直面する年齢まで生きないってことは、それらのストレスからは解放されるわけで。

けど、死ななくてもいいと思ったら、やっぱりホッとした。。

結局、あまりの強いストレスを、脳が無理矢理『ポジティブ』に変換しようとしてただけかもしれないけど。。

もちろん、この薬がずっと効いてくれるかどうかは、不明…。

けれど、私なりに調べたり理解したりしている範囲では、いわゆる『耐性』は出にくい薬なのではないかと考えている。

先日恐る恐る、主治医の先生にもその辺のところをどうお考えなのかを確認してみたところ
「う~ん、なんとも言えないねぇ…。」
との事だったが、今まで使ってきた薬とは種類が違うので、私は長く効いてくれるのではないかと期待している。


そんなこんなで、ブログを始めてみようと思い立ったわけです。

ただ、、どの方向性でやるかについては、迷ったまんまで。。

多くの方がされている『闘病日記』のようなものにするのは、いささか抵抗がありまして。

私自身、同じ病気の方の『闘病日記』は、よく参考にさせて頂いてきたのですが。。

なんとゆーか。。

誰しも病人になる為に、生まれてきたつもりはないと思うんですよね。

『私』という存在の一部に病気という『事情』があるだけで。

『私』=『病人』という風にはなりたくなくて。。

もちろん、同じ病気の人や、この病気を理解したい人の役に立つ情報を発信できるとしたら、それはそれで嬉しい気持ちはあるんですが。。

私自身がまだ
「病気だけれども、それを乗り越えて何かを実現した人」
にはなれていなくて。。

敢えて、病名や治療法は伏せて書かせて頂きました。。
そもそも、年齢性別etc.すら明かしてないというね。。

読んで下さってる方は、
「そもそも、こいつって何者?」
と思われている頃かと…f(^_^;)

その辺りは、必要に応じて後々追記していこうかなと。

ブログを始めた理由を上げるのも、正直自分の中では賛否両論ありまして。

けど、そこに触れないまま続けていくのにも無理がある気がしてきまして。

病気のことばかり考えるのも嫌で、できるだけ関係ない話だけしていこうかと、当初は考えていたんですがね。。

方向性が決まったら、ブログのタイトルも変えようかと☆

まとまりのない文章で、ダラダラと長くなってしまいスミマセン。。

最後まで読んで下さった方、本当に感謝致します。

(^人^)(合掌)

ブログを始めた理由④

新薬の飲み薬を、11月半ば頃から服用し始めた。

それまでは点滴で治療していたが、飲み薬になった分、慣れたら1月に1回ぐらいの通院にできそうだった。

けれど「都度様子を見たい」との先生の意向もあり、初めのうちは1週間分ずつ処方されることになった。。

1週間処方した感じ。。
「…どうだろ?まだ1週間やしな。。」

2週間処方した頃
「…ん?これはもしや…効いてる?!」
入浴時。体表にあった病巣が、明らかに平らになってきていた!

翌日病院に行くと
「これは…効いてきてるね!!」
主治医の先生の、久々に明るい表情を見た。。

更に飲み続け、4週間ほど経った頃。咳が完全に出なくなった!!!

(続く)

ブログを始めた理由③

いよいよ耐性ができ始め、薬の効き目が落ちてきている、ということになり
「薬を2種類増やしましょう」
ということになった。

効き目が落ちてはいるものの、まだその薬が全く効かなくなっているわけではない。
ということで、翌月からその薬にプラス2種類増やした計3種類の薬での治療が始まった。

それから2ヶ月ほど治療した頃、全身のCTを撮りまして。

その結果、治療開始前の病巣はほぼ消えている。
ただ、副作用で肺に水が溜まってきているので、この薬は一旦中止しましょう、ということになった。(昨年2月頃)

※この頃ね、ミョーに息苦しくて。。
たまに立ちっぱでいたりすると、貧血で倒れそうになることがしばしば。。
けどまさか、肺に水溜まってるとか、思ってもおらず。。

で、中止した分、他の薬に変えて治療を続行しましょうということになり、3月頃から別の薬に変えて3ヶ月ほど治療をした結果、効果が弱いことが分かり。。(昨年6月頃)

※例の肺に溜まってた水は、薬変えたら徐々に抜けたようで、呼吸はラクになりました。

そこからまた別の薬に変えまして。
すると、出だし好調で良く効いているようでした。
けれど、段々効き目が落ちてき出して、咳が出始めた。。(昨年10月頃)

11月にはいよいよ咳がヒドくなり、また薬を変えましょうということになった。


去年3月に薬を変えて以降、病状は進む一方で、この11月頃には病状はけっこう悪くなってしまってまして。。

喋ろうとするだけで咳き込んでしまい、
起きて息をしているだけでも辛く、なかなかキツかった。。

次に使う候補の薬は、1年ほど前に承認されたばかりの新薬で、飲み薬になるらしかった。
けど、この薬が効かなかったら、もう他に打つ手はない…というところまできてしまっていまして。。

日に日に、主治医の先生の表情も険しくなってきて。。

この頃ですね。私が、もうオリンピックまでは生きられない覚悟を決めかけたのは。

新薬なだけに、主治医の先生も実際にはまだ使ったことがなかったみたいで。
ただ、学会等では他病院で服用した患者さんの情報を得られてはいて、効き目は人によって差があるらしい…と言われてましたので、私も本当に効くのか?!と、半信半疑でした。

もぅ…ひっそりと、死んでいこうかな。。
毎日横になりながら、そんなことを考えてました。。

…と、これが、ブログを始める1ヶ月ほど前のお話です。

(続く)

ブログを始めた理由②

更にブログを始める約1年半前に遡りますとね。

会社を辞めました。

まぁ、なかなかハラスメントのキツイ会社でね。

辞めた時は正直
「辞める理由が出来てラッキー」
ぐらいに思ってて。。

で、何で辞めたのか?って言うとね、
命に関わる病気だったんですがね。
けど実は、再発だったもので。初めてかかった病気じゃなくて。

治療にも慣れていたつもりで。
傷病手当貰いながら数ヶ月治療に専念して、その間に次どこで働くか、ゆっくり考えたらいいわ~って、割と吞気に考えてたんです。。

幸い、治療も出だし好調で、メキメキ良くなってまして。

病院行く度に
「先生、治療いつまでやるんですか??」
が口癖みたいになってて。

すると主治医の先生
「まぁ…1年はやった方がいいかなぁ。」
と言われ。

えー!!そんなにやらなくていいでしょ?!こんなに効いてるのに。。
と思ってた。

で、定期的に病院行って治療して。

半年ほど経った頃。
いつものように病院行って。
治療が終わった後、主治医の先生から改めて話があると言われ。。

「今やってる治療は、いつまでやるのかと考えたら、大体1年ぐらいかなぁとは考えてきました。1年ぐらいと言うのは、薬の副作用に体が耐え得るのが大体1年ぐらいか、もしくは、効かなくなるのがそれぐらいかというところの話です。
今良く効いてる薬も、耐性ができていずれは効かなくなる時が来ます。薬を変える時というのは、副作用が蓄積されて体がそれに耐えるのが困難になった時か、薬自体が効かなくなる時のいずれかです。今やってる治療は、この病気を治すと言うより『時間稼ぎ』だということを理解して下さい。。」

主治医の先生は、丁寧にそう説明された。

時間稼ぎ…。
しばらくその言葉が私の頭の中をグルグルと回った。。

それから約2週間後。
体に違和感を覚えて、診察の予約が入ってなかった日に病院へ行って、先生に相談した。

その結果
「…ぶり返してきてますね。。」

少し前に先生から説明された通り、どうやら体に耐性ができ始め、薬が効かなくなってきていたようだった。。

(続く)

ブログを始めた理由①

さてさて…年末に急に思い立って始めたこのブログ。

少し前まで、まさか自分がブログをやってみよう!と思い立つなんて、思ってもみなかった。。

人様のブログを読むのは好きだったんです。

けれど、自分が自分の考えを、公にしてしまうのは、正直怖かったと言うか。

世の中、いろんな考えの人がいて、必ずしも自分と同じ考えの人ばかりではなく。

それと、自分が伝えようとしたことが、言葉足らずで間違って伝わってしまったりすることが結構あったり。。

言葉だけで何かを伝えるって、場合によっては怖いなぁ~と思ってて。。

SNSも正直苦手でして。

それがなんで、急にやってみようと思ったかって?

う~ん。。

この世に戻ってきたから…とでも言うか。

はぁ?よね。

このブログを始める1ヶ月前に遡りますとね。。

覚悟決めかけてたんですよ。

私きっと、オリンピックまでは、生きられないんじゃないかな…って。。

どうした、どうした?一体何があった!?って?

長くなりそうなので、詳細は次に続く。。