遊び方の分からないおもちゃ

かなーりどうでもいい話ではあるんですが、、みなさんは普段、疑問には感じていても解消するほどの意思もないものってありませんか?

私がふと思ったのは、子供の頃家にあったおもちゃで、遊び方が分からない物があったなぁと。。

それは、、

・フリスビー
・スーパーボール

まずはフリスビー。
うちにあったフリスビーにはイラストが描かれたシールが真ん中に貼られていて、外国人(らしき)男性が走りながら、縦にして手に持ったフリスビーを高く掲げているような図。

しかし、それだけではさっぱり使い方が分からず、家にそれがあることに戸惑うばかりだった。。

私には兄がいたので、そのフリスビーは兄の物だったか、従兄弟の誰かからのお下がりでうちにあったのかは分からないが、兄も遊び方は知らないようだった。。

当時なぜか流行っていたのか、幼友達の家に遊びに行ってもフリスビーがあり、その子も使い方が分かっておらず、逆さまにして、ままごとのお盆代わりに使っていた💧

やがて少し大きくなり、このフリスビーは、二人一組で広場などで横向きにフワーッと投げ合って遊ぶのだと知ったことで解消!

中学生?か高校生?の頃、体育の授業でもやったのには少し驚いた🙄

フリスビードッグなんて言うスポーツもあるらしいと知ったのは最近のことやけど、確かにそれは楽しいかも!

愛犬に「セバスチャン!Go✊」とか言って、思いっきり遠くへ投げたフリスビーを、愛犬が追っかけて行って、取ったフリスビーを全速力で自分の所へ持って帰ってくる🐕💨

そして「よーしよしよし!セバスチャン!」と愛犬を撫でまくる🐶💕

想像しただけで楽しいかも😁
犬飼ってへんけど。。

…話を戻して、フリスビーに関しては数年で解消してしまったが、問題はスーパーボール!

スーパーボールって、今やどこででも手に入りますよね?

今年こそコロナでやってるところはなかったかもしれないが、夏祭りの屋台とかでも、金魚すくいと並んでスーパーボールすくいなんてのもよく見かける。

もはや特別珍しくもない、私の中ではそんなイメージなのですが、もしかしたらごく最近はまたちょっと違ったりもするんでしょうか?!🙄

…ともかく、そのスーパーボールの遊び方!

どなたか知ってます??

よく弾むのがおもしろくて、確かに最初は楽しいんですね🙌🎶

けれど、、家の中で遊んでると壁や天井にゴンゴン当たって怒られる💦

外で遊ぼうにも、路上でやったらどこへ跳ねて飛んで行くか分からない💨

公園でやろうにも、砂地の上ではよく弾まず、さらにスーパーボール自体に傷がついてしまう💧

で、結局そのまま使われることなくおもちゃ入れの底に沈んでいく。。

子供の頃、当時中学校の教師をしていた母が、ある時テニスボールより一回り小さいぐらいのスーパーボールを2個ほど持ち帰ったことがあり、どうしたのか?と聞くと、学校に生徒が持って来ていたので没収したと。。

…なんか、私はその生徒さんの気持ちが分からんでもない。。

きっと、なかなか強力そうなスーパーボールを手に入れたぞ!とはなったが、遊ぶ場所がない。。

で、学校の廊下ならよく弾むかも!と持って行き、思いっきり廊下の床に叩きつけて遊んでいたところ、速攻で先生(うちの母)に見つかり、没収された~😣
とかいう一幕やろなぁ、と。。

だって、どこで遊んだらいいんか分からへんもん~💦

理想としては、そりゃそれこそ学校の体育館のど真ん中とかで、思いっきり床にバーン💥と叩きつけて、どこまで跳ね上がるのかを一度見てみたい😮

最初にスーパーボールを作ったおもちゃメーカーの商品開発部の人は、たぶん特殊なゴムでめちゃくちゃ弾むボールを作ったら、子供って喜ぶやろなぁ!よし、採用!それ作ろう!!

とかいう流れで作ったんやろなぁ…とか、勝手に想像する。

けど、それ作ったらどうなるか?!までは考えられてないだろ!私はそう思う。。

(あくまでも私の勝手な想像です)

果たしてスーパーボールの正しい遊び方なんて、あるんですかねぇ??

うちのカシワバさん

みなさん、カシワバアジサイってご存知でしょうか??

私は知らなかった。。

1個1個の花は、よく見るアジサイの花と同じような形で白い色。全体は真ん丸こくなっていなくて、なんと言うか…円錐形のようになっている。

葉っぱの形が柏の葉に似ていることから、そう名付けられたらしい。

ちなみに、北米原産だそうです。

今年の母の日に、私はそのカシワバアジサイの鉢植えを母に贈った。

花好きなのに、なぜかカーネーションが嫌いな母なので、違う花を…と捜しに出かけた先の花屋で見つけ、お店の人に「これは何ですか?」と聞いて、初めて知った。

珍しかったのでそれに決めて購入し、少し重かったが、片道20分の道のりをなんとか持って帰った💨

母は既にこの花のことを知っていて、近所の◯◯さんの家に咲いてるよ、と。
さすが花好きな人はよく見てるもんだ、と感心した。

それからは主に母が毎日水をやっていた。

お店の人からは、地植えする場合は、花が全部咲き終わってから植え替えて下さいね、と言われたので、咲き終わるまで待つことにした。

花はよく保って、1ヶ月以上は咲いていたかな??

やがて梅雨に入り、水をやる習慣がなくなっていった。

今年の梅雨明けは早くなりそうです…なんて言われていたのにも関わらず、7月いっぱい続いた今年の梅雨。

やっと明けた~!などと思っていたが…あ!そう言えばカシワバさん!(いつしかそう呼んでいた)と思った時には、梅雨明けから10日程も経っていた💨

見ると、、花はもちろん、全体的にすっかり茶色くなっている!!!😱
緑の葉っぱがちょろっと残ってはいたけれど、時間の問題で枯れてきそうだった。

「お母さん、カシワバさん水やってなかったよね?!」
「いや、梅雨やから大丈夫やと思ってて…」
「明けてからもう10日も過ぎてるんよ…」
「あぁ…」

と、親子でなんとも情けない会話をしていた。。

もう仕方ないね。。と母と話していたが、カシワバさんに対して申し訳なさでいっぱいだった私は、せめてもの供養の気持ちで、時々バケツ一杯に汲んだ水をバシャーっとかけるようにしていた。

すると昨日…何気なくカシワバさんの植木鉢を見ると、、え?!なんか、緑の葉っぱが増えてる??

「お母さん、もしやカシワバさん生きてる?!」
「なんかそんな感じやね!」

いやぁ~、驚いた!そもそも北米出身のカシワバさんが、梅雨明けて10日も水をもらえなかった上に、その後のあの酷暑にも耐え抜いて生き続けていたとは!!

供養のつもりで時々でも水をやっていた私の想いが通じたのか、、いや、それ以上にカシワバさんの生きようとする力が強かった!!

「私だって生きているのよ!だからあなたも生きられる!希望を捨てずに頑張って!!」
と、カシワバさんに言われているような気さえする。

植物の生きる力には、時々ハッとさせられるものがある。

辛子明太子

今週のお題「ごはんのお供」

このブログを始めて2回目のお題挑戦!✌

私にとって一番好きなごはんのお供は…なんと言っても辛子明太子!!!

明太子パスタも大の好き🍝💕だけど、明太子があると、本当にご飯が何杯でもイケてしまう~🍚🍚🍚

最近は食事の時、ご飯は基本的に最後に食べるようにしていて、お腹がいっぱいの時はもう食べないようにしている😑

ところがこの前、おかずを食べ終わった時点でお腹がいっぱいだったので、ご飯はもういいか~💨と思っていたのだけれど、明太子があったので、ちょっとだけ食べよ…と思って食べ始めたら、、
2杯もイケてしまった!🍚🍚

まさに別腹?!笑

あまり体にいいものではない😣と、頭では思っているのだけど、、それならデザートだってそうやし、といつも自分を甘やかしてしまう 笑

もはやおかずの域を通り越して、デザートの領域かもしれない…🍨

偶然大魔王

みなさん、こんにちは。

このタイトル…これはですね、ある時友人からつけられた私のあだ名です。

何せ私、今までの人生の行く先々で、偶然の再会を果たしてきまして…このようなあだ名がついた次第です😅

つい先月も、読者登録していたブロガーさんが探しておられた他のブロガーさんを、私がタイミングよく見つけ出したようなことがあったのですが。

なんだかそういう事がよくあるんですよね~、私🙄

ざっと挙げてみると、、

・大学生の頃、求人情報誌で見つけたバイト先(喫茶店)で、中高時代の同級生が先に働いていた。

・大学卒業後、働き始めた国立大学(職員数5000~6000人規模)で、全然違う学部で中高時代の同級生(↑とは別の)が働いていて、とある仕事上の事務手続きの際に鉢合わせてお互いにビックリ!

・合コンで小学校時代の同級生男子と再会してしまう。。

・数年前、近くの内科の待合室で、たまたま隣にいた男性に話しかけたところ、話していくうちに父の同級生であることが判明!


今パッと思いつくだけではこんな感じですが、よく街中で電車を待ってたりするような時に、
「…◯◯ちゃん?!めっちゃ久しぶり~!!元気してた?!」
みたいなやり取りを目にする👀

そういう光景を見る度に、世間って狭いもんよね~、などと軽く思っていたのだけれど、なにげなくそれを人に話すと、いや、そんな場面に遭遇することはめったにないぞ!と言われ、そんなあだ名がついた。。

偶然って、なかなかないもんですかね???

道で出会った、たくましいおばあちゃん

昔から、歩いているとお年寄りに道を聞かれる頻度がなんだか高めな私。

祖父母と同居の環境で育ったせいか?
それが何かしらのオーラとして出ているのか?どうかは分からないけれど。。

今回はその中でも、特に印象的だったおばあちゃんの話。


あれは6年前の冬のある日、出先から家に帰ろうと、私はイヤホンで音楽を聴きながら歩いていた🎧

立ち止まってiPodを触っていたら
「おねえちゃん!」
と声をかけられた。

声の方を見ると、お年寄り用の乳母車?と言うか、荷物を入れたり、座ったり出来るカートを押した小柄なおばあちゃんだった。

歩くことにくたびれた様子で
「腕組んでくれへん?」
と言われた。

道を聞かれることはあっても、こんなことを頼まれたのはさすがに初めてだったが、瞬時におばあちゃんの状況を悟った私は、あ!はいはい、とおばあちゃんの左腕に自分の右腕を絡ませて歩き始めた。

…ところで、どこへ行くのか、、

私「どこまで行くの?」
おばあちゃん「◯◯スーパーまで」

なるほど。声をかけられた道の先にそのスーパーはあって、そこから少し上りの坂道になっていたので、こりゃ厳しいぞ!となったところへ、たまたま通りがかった私に助けを求めたようだった。

ちなみにそのスーパーは、安くて有名。
少し戻った所に大きなスーパーがあったから、そっちはどうか?と提案したが
「あそこは高いからあかん!」
と一喝😓

私「独りで暮らしてんの?」
おばあちゃん「弟と二人暮らし!」

きっと、少ない年金でやり繰りしてるのかな?

私「おばあちゃん、いくつ?」
おばあちゃん「きゅーじゅーに!」

祖母の年齢と近かったので、干支に換算して
私「とり年?」
おばあちゃん「よー知ってんな!」
この年代の人、干支で年数えるの好きなんよな😅

私「うちもねぇ、97歳のおばあちゃんいるけど、今風邪ひいて寝てるんよー」
おばあちゃん「あー!寝込んだらあかんわ!」

どうやら私の話にはあんまり興味がない😌

少し歩いて、歩くスピードはこのぐらいでいいかな?速いかな?と思ったので

私「歩くん速い?」
するとおばあちゃん、立ち止まって息を切らしながら「なんやて?💨んぁー?!💨」

どうやらおばあちゃん、耳がだいぶ遠い…👂

私「いや、なんでもないよ」

とにかくスーパーまで辿り着くのに必死なおばあちゃんに、しょうもないことを聞くのはやめた。

スーパー手前には交差点があって、車も多いが、横断歩道がまっすぐスーパーまで伸びておらず、横断歩道に沿って行くとなると、信号を2回渡ることになる。

すると、平気で横断歩道を無視して斜めに突っ切ろうとするおばあちゃん💧
ただでさえ息を切らせて歩いてきたところへ、とても横断歩道に沿って渡る気にはなれないらしい💨

慌てて手を挙げながら一緒に渡る私✋💦

案の定、左から来た車がやむを得ず止まってた。。

こりゃおばあちゃん、一人やったら危なかったぞ…😌

渡りきったところで「もうええよ!」と言われたが、物はついでやと思った私は
「うん、入り口まで行こな」と、入口まで付き添った。

「ありがとう、おねえちゃん✋」

と、あっさり別れてスーパーへ入って行くおばあちゃん。

しばらく見送ってると、スーパーの入り口入ってすぐ、高く積み上がった買い物カゴに手が届かなかったおばあちゃんは、傍にいたおじさんに
「おにいちゃん、カゴ取って!」と指示し、カゴを取ってもらっていた。

おばあちゃんの不思議な魅力?魔力?に、おじさんは笑いながらカゴを取って、周りにいた人たちも笑顔😄

そのたくましさに、感動した私。。

人間、誰しも長生きすれば思うように動けなくなる時が来る。
それをなかなか受け入れられないのが普通なんじゃないだろうか。
私自身、自分がそうなった時、受け入れられる自信はあまりない。。

けれどそれを受け入れ、頼れるところは堂々と人に頼り、強く生きてるおばあちゃん。

身内や知り合いならまだしも、通りがかりの人にまで声をかけて助けてもらうのは、大したものだと思う。

そして、私にスーパーの中までついてきて欲しいとは頼まなかったことからしても、頼り過ぎることなく、相手の負担にならない範囲も心がけているように感じる。

気丈さがあり、いろんな意味で、自立・自律が出来ているおばあちゃんだったと思う。

ほんの数分の出来事だったけど、不思議と心がポカポカする出会いだった🌞

物品移動?

何の脈絡もないのですが、自分が経験した不思議な出来事を思い出したので、書いてみます。。

あれは、2年ほど前。
とある日曜日に、掛け布団を自宅のベランダに干していました。
夕方になったので、そろそろ取り込まねば💨と、ベランダへ向かいました。
すると…南向きに干していた掛け布団が、西向きに干し直されている。

母が気を利かせて(?)傾いた陽に当てようと西向きに干し直してくれたのかな?と思ったのですが、、

布団がエアコンの室外機のホースを巻き込んでしまっている!!!

そして、私の掛け布団はそのホースから出た水でしっかり濡れている!!!

きっと干し直す時にうっかりホースを巻き込んだのだ!

自分の布団が汚れてしまったことで頭に血が上っていた私は母に

「お母さん!布団西向きに干し直した!?」

と、非難がましい言い方をしてしまった。。

そう、『あんたが犯人でしょ💢』感満載で。。

すると、母は
「はあ…?」
と呆れ顔。。

聞くと、母はベランダになぞ出てもいないし、私が布団を干していたことすら知らないと言う。

でもすると…布団が西向きに干し直されていたことへの説明のつかなさに完全に頭の中が『❓❓❓』だった。。

誰かがベランダへ出入りした気配は全くなかったし、それでも知らぬ間に出たとしたら母ぐらいであろうと、真っ先に母を疑った。
だが、あとの家族二人(父と兄)に確認しても、知らないと言う。

誰かが嘘をついているとは到底思えず、呆れ返った母からは「どうせ自分がやったんじゃないの?」と返り討ちを喰らう始末💨

いや、やってませんて💦と、なぜか被害者兼被疑者のような状況に追い込まれる私。。

その夜、江原啓之さんのラジオを聞いていて、これだ!!!と思う内容が流れた。

それは『物品移動』というスピリチュアル的な現象。

言葉通り、物品が移動してしまう現象らしい。

気になったのでネットでも調べたら、鍵付きの引き出しに入れていた物が、ある時見ると無くなってしまっているが、しばらく経ってもう一度見ると、まるで何事もなかったかのようにちゃんとそこにある。。
『思い違い』などではなく、そういった現象がこの世では起こることがある、と。

それには思わず「ほんまかいな」と調べながら呟いてしまったが、自分の布団の件も、どう思い返しても説明がつけられない。。

ホースを巻き込んでしまうような雑な干し方を考えても、人が干し直したとは考えにくく、風で飛んだか?とも思ったが、それだと下へ落ちてしまったはずだと思う🤔

けれど、それでどうなるわけでもないままいつしか忘れてしまい…今日たまたまふと思い出したので書きました。

不可解なまま忘れてしまうような出来事って、皆さんありませんか❓❓❓

あんず林のどろぼう

今週のお題「読書感想文」(らしい)。

今週のお題というものに挑戦したことがなかったのだけど、ふと書いてみたいことがあったので、初挑戦!

小学校6年生の頃、国語の教科書に『あんず林のどろぼう』という話が載っていた。
その授業内で、この話についての感想文を書かされた記憶がある。

以下、私が覚えている限りのこの話のあらすじ↓↓↓

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あるところにどろぼうがいた。
このどろぼうは、3年もどろぼうになる為の研究をし、完全犯罪を成し遂げる腕を持つ程のどろぼうになった。

ある朝、ひと仕事終えたどろぼうは、お腹が空いてあんパンと牛乳を買ったが、それをどこで食べようか?と迷っていた。

公園などで、朝っぱらから高級な身なり(盗みを働いて手に入れた服装)で、あんパンなどを食べていては、おまわりさんに怪しまれてしまうかもしれないので、どうしようかとさ迷っていた。

そしていつしかどろぼうは、満開に咲いたあんず林に迷い込んでいた。

すると、一つの木の下に、何かが置かれていることに気付いた。

近付いてみると、それは赤ん坊であった。

赤ん坊の傍には手紙があった。
「こんなあんず林の中に来られるあなたは、きっと心の優しい方だと思います。私は、事情があってこの子を育てることができません。どうか、この子を育ててやって下さい。お願いします。」

と、手紙には書かれていた。

赤ん坊を抱き上げると、その赤ん坊は、どろぼうに笑いかけてきた。

すると、どろぼうの目から涙が溢れた。。

どろぼう本人が、その事に驚き、何度も自分に言い聞かせた。
天下一のどろぼう様である俺が、泣くなんておかしいじゃないか。。
けれど、涙は止まらない。

どろぼうには、お父さんもお母さんもいません。友達もいません。犬や猫はどろぼうを見ると、うなり声を上げます。

(とにかく、どろぼうは今まで、誰かに親切にしてもらうようなことがなかったらしい)

どろぼうは持っていた牛乳を口に含み、赤ん坊に口うつしで飲ませてやった。

そして…どろぼうは、着ていた服と靴を脱ぎ捨て、ただ一人、赤ん坊だけを抱いて、あんず林から去って行きました。。

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↑↑↑
というお話。

授業中に、先生が皆の感想文を読み上げていたのは、チラホラ覚えている。

去って行った…というところで終わっていたもので、その後のどろぼうと赤ん坊の関係性に思いを馳せた感想を書いていた子が多かったように思う。

肝心の自分自身が、この話の感想文として何を書いたのかは、さっぱり記憶がない💧

けれどこの話を読んだ事で、私は

「どんな人にでも事情がある」

という事を、都度考えるようになった気がする。

どろぼうにも。
そして、赤ん坊を置き去りにした母親にも。。

それが決して、肯定できることではなかったとしても。

どんな児童書にも、伝えたいメッセージが必ずあるものだと思う。

私にとって、この『あんず林のどろぼう』は、自分の人格に影響を与えてくれた作品の一つだったよな~と、今になって改めて思う。