おひさしぶりです!
前回の記事からかなり間が空いてしまいました。。
そんな中でも、たまにスター付けて下さる方や、ブックマークして下さった方、アクセスして下さった方、読者登録して下さったがチラホラいらっしゃって、心底感謝致します🙏
と同時に、こんなにも間を開けてしまって、本当にごめんなさい💦
実は、よく効いていた薬の効き目が落ちてきてしまいまして、また『死』が頭にチラついてしまっているこの頃です。。
病巣に痛みも出てきていて、先週主治医の先生にその旨を相談したところ痛み止めの飲み薬を出して下さり、それを言われた通りに処方したところ、、なんだか体も心もフワフワとしてきて、初めて飲んだ日はおかしなテンションになってました😅
副作用として多幸感、めまい、フラつきetc.とは書かれていたけれど、まさかこんなにキツく出るとは思っておらず。。
あまりのおかしなテンションに最初の日は父親が心配してました💧
「この薬は2週間分しか出せません」と言われたことに改めて納得💨
まぁ副作用自体は2~3日で落ち着いたのだけれど、病巣の痛みは日によってはけっこう強く⚡
その痛み止めを飲んでいる分、いくらかは抑えられているけれど、飲んでもあまり効かない日もあり。。
体のどこかが痛いのは、本当に辛いものです…😣
…と、何でもない(?)私の近況報告にどれだけの方が興味を持って下さるか分かりませんが、それでも冒頭に書いたようなチラホラと読んで下さっている方に改めてお詫び?と言うかご無沙汰してしまっていた言い訳?を投稿してみました😌
しかし世の中はコロナで大変ですよね。。
東京の感染者が1日で約100人も増えてしまうという事態。。
Go to キャンペーンが原因か!?
夜の街での感染が広がっているなどとは聞きますが。。
私自身、自分の病気は然り、令和2年7月豪雨災害にしても、人間にはどうしようもないことが起こりまくりですね。。
けんさん…。
昨日、志村けんさんの追悼番組を見た。
ゲストにはドリフターズのメンバーと、研ナオコさん、いしのようこさん。
皆、かつて志村けんさんと息の合ったコントを披露してくれていた人たち。
番組は主に、昔放送された番組を再度映す形で進められていた。
私も子供の頃、志村けんさんの出ている番組が、生活の中で一番の娯楽だった。
学校へ行けば
「ねぇ、見た!?」
と、友達と暗黙の了解でその話題からスタートするのが当たり前だった。
大阪で生まれ育った私には、もともと『笑い』が生活の中では欠かせないものだった。
中学生以降は、自分の求める笑いが主に『吉本新喜劇』と『探偵!ナイトスクープ』へと移行していき、大人になってからはドリフ系の笑いは、幼かった私には面白かったんだろうな~🙄なんて、記憶から薄れてもいた。
ところが昨日の追悼番組。
あんなに笑ったのはいつぶりだろ?!と思うほど笑わせてもらった😂
番組最後に、ドリフターズのメンバー全員がコメントする場面で、高木ブーさんの番になった途端、間が空いてしまった。。
「…ブーさん?」
とアナウンサーにつつかれ、
「今寝てたでしょ!!」とすかさず加トちゃんが突っ込むドリフターズのテンポ感も健在👍
やっぱり、おもしろい!!!!!
おもしろいものは、いくつになってもおもしろい!!!
子供の頃は、教育上良くない…😟💨
と言って、見ることをあまりヨシとしてくれなかった母も、昨日は一緒に大爆笑😂😂
追悼番組でさえ、あんなに見ている人を笑わせてくれた志村けんさん。
番組始めに
「暗いのは志村には似合わないから、明るく行きましょう!」
と言ったのは、仲本工事さんだったかな…?
それで、敢えて今日はみんなで笑いましょう!的な空気感からスタートしたのはあったけど、本当にあんなに明るい追悼番組は初めてで、それにも驚いた。
終始笑いっ放しで、あっという間に終わりに近づいた時には
「え!もう終わり?😦」
とさえ思ってしまった。
そして…笑わせてもらった分だけ、改めて悲しみが込み上げた。。
そんな志村けんさんを奪ったコロナを、これ以上拡散させてはいけない!!!
と、改めて思わされた。
志村けんさん、本当にありがとうございました🙏🙏🙏
本当に被害者ですか…?
志村けんさん死去…。
日本中に衝撃が走ったと思う。
それを聞いた時には、私自身がその頃にはもうこの世にいないんじゃないか。。
という覚悟を決めかけていた。
それが今
・オリンピック延期
・志村けんさん死去
という。。
悪くなっていた私の体は持ち堪え、
当たり前に行われるはずだったオリンピックは行われず、
当たり前に聖火を持って走ると思っていた人が、突然この世からいなくなってしまった。。
本当に、一寸先のことは分からない。。
(志村けんさんには、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。)
そして、この状況を踏まえて思うのは、
今回のコロナ騒動にしても『自分だけは』感染していない!と思っている人が多過ぎなんじゃないか?ということ。
Facebookを見ていても、コロナをこれ以上拡散させない為には、ああだこうだ!と言っている人に限って、不要不急の用事で街へ出て
「こんなにも人がいる!」なんて写真を載せている。。
この社会で生活している以上、今や誰一人感染していない確証のある人なんていないんじゃないだろうか???
重症化しにくい若者世代だけをバッシングするのも、違うんじゃないか?
もちろん、若者世代に意識が低い人の割合が多くて、無意識に撒き散らしてしまっている若者の多さは確かだと思うし、そんな若者とは違って自分は感染するような行動は一切取ってない!という方が殆どかと思う。
けれど、この状況下では、自分も『感染している』前提での行動を全員が取って取り過ぎることはないんじゃないか?
もちろん、私自身も!!
人間は、自分の『経験上』でものを考えるクセがあるんだとは思う。
今、この世に生きている人全員の共通点は
『死んだことがない』
(そりゃそうだ)
今までの経験上、大概のことがあっても死なずには済んできた。
だから、ちょっとやそっとでは死なないと思っている人が殆どだと思うし、
死ぬ人が出てくるような事態になっても、それは自分より高齢だったり、体が弱かったりする人で、元気に生きている『自分』は死なない
なんて吞気に考えてしまうんじゃないか?
正直、私自身が大病を発症するまではそうだった。。
特に私の家系は長生きで、私が知る限り85歳までに亡くなった人はいない。
だから自分も、そのぐらいは生きてしまうのかぁ💨なんて考えてしまっていたこともある。。
それが、まだ一般的には若いと言われる年齢で突然命に関わる大病を発症し、ひと段落したと思った頃に再発し、、薬が効かなくなって日に日に病状が悪くなっていく中、生きていること自体がどんなに『当たり前じゃない』ことか…前よりは分かるようになったと思っている。
私の家系は長生きで…とさっき書いたけれど、一人だけ例外がいる。
それは、私の曾祖母。
父方の祖母(享年99歳)の母。
彼女は、祖母を産んで2~3年で亡くなってしまった。。
歴史上、このコロナ騒動がそれに匹敵するのでは?と言われている『スペイン風邪』という流行病であっさり逝ってしまったと聞いている。
享年22歳。
どんなに長生き遺伝子を持って生まれたとしても、新型でワクチンのない病気に突然襲われたら、ひとたまりも無い。
人間とはそれほど無力なもの。。
何が起こるか分からない人生を生きている以上、ちょっとの油断で命を落としてしまわぬよう、一人一人の細心の注意が今必要なんじゃないだろうか?
そして、自分が死ぬか死なないかだけじゃなく、これ以上拡散してしまわない為には一人一人の『拡散させない』意識が、必要不可欠なんだと思う。
不要不急の用事で街に出て写真を載せていた人は
「自分にはうつさないでよ!」という『被害者意識』にしか思えない。
自分の行動を棚上げして、どうして人の行動を非難できるのか?
無意識に自分が感染していて、それを広めてしまっている可能性は考えないのか。。
仮に今はまだ感染していなくても、そうやって街へ出たことで感染し、それをまた拡散してしまうことへの責任は考えないのか。。
そういう意識の低さが、感染拡大につながってしまっているんじゃないのか??
生きている以上、どんなことでいつ自分が『被害者』になっても不思議ではないのと同時に『加害者』になってしまっても何ら不思議ではない。
特に今はそういう状況なんじゃないだろうか?
それを今、一人一人がもっと自覚するべきなんじゃないかと、私は個人的に思う。
※あくまでも個人的意見ですので、万が一気を悪くする方がいらっしゃったらごめんなさい🙏
心を開いて
K君のことを思い出すと、必ず一緒に思い出す曲がある。
ZARDの『心を開いて』
ZARDは好きで、他にも好きな曲はいっぱいあるけど、自分の中ではこれがダントツ1位🏆✨
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私はあなたが思ってるような人ではないかもしれない
でも不思議なんだけど、あなたの声を聞いてると
とても優しい気持ちになるのよ
このままずっと忘れたくない
今が想い出に変わっても…
言葉はないけど、きっとあなたも、同じ気持ちでいるよね。。
人と深く付き合うこと、私もそんなに得意じゃなかった…
でもあなたを見ていると、私と似ていて、もどかしい…
そういうところが、たまらなく好きなの
ビルの隙間に二人座って、道行く人をただ見つめていた
時が過ぎるのが悲しくて、あなたの肩に寄り添った。。
My dream, Your smile
忘れようと、すればするほど好きになる。
それが、誤解や錯覚でも、心を開いて!
どんな時もあなたの胸に、迷わず飛び込んでゆくわ
Your dream, I believe
ときめてる、心を開いて…
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大学に入って以降は色々あって、私は人間不信気味になっていった。。
それからの私は、心に鎧を着るようになってしまったのかもしれない。
人間関係に疲れた時、この曲を聞くと心が和む。
K君に出会った頃は、私もまだ無防備で不器用でまっすぐだった。
この曲が、その頃の自分を思い出させてくれるのかもしれない。
『心を開いて』は、あの頃の自分が今の私自身に語りかけてくれているようにさえ感じる。。
再会してみたい人って、いますか?
昨年末頃、自分の命の期限がいよいよ来年あたりになるんじゃないか…と考えた時に、ふと最後に会ってみたい人が一人、私の中に浮かんだ。。
彼と最後に会ったのは学生時代なので、もう結構前になる…。
高校2年生の時。
大学受験に向けて通い出した予備校の高校生科で出会った彼。
彼(K君)は同じ高校に通っている男子(S君)ととても仲が良さげで、いつも2人でいた。
K君は相当な人見知りで、言葉を交わすようになったのは高校3年になってからだったと思う。
S君曰く、K君は女子とはほとんど話さないし、男同士でも恋愛ネタは一切話さないとのことだった。
そのせいか、あまりにS君と仲がいいので、二人デキてる説が流れてもいた(笑)。
K君は、女の私でさえも羨むほど、色白で目鼻立ちの整った美しい(?)顔をしていて、よく人から『女装が似合いそう』などと言われることに、少しムッとしているようだった。
他にも他校の女子含め、いつも5~6人でよく話すようになっていた。
私は最初、どちらかと言えば社交的に見えるS君と話すようになり、K君はいつもS君の後ろについてきている感じだった。
あまりの人見知り具合に、最初はK君と仲良くなれることさえ期待もしていなかったが、ちゃんと目を見て話しかけてくれるようになった時はとても嬉しかった。
私は中高一貫の女子校に通っていたので、彼らとの出会いはとても新鮮だった。
K君は私の父と名前が同じで、高校も父の出身校だった。
仲良くなって聞いてみると、兄弟構成まで父と同じだった。
お姉さん2人と妹さん1人。
偶然てあるもんだな~、とその時は思っていた。
女兄弟が多いせいか、一度打ち解けると、一見社交的に見えるS君より話しやすかったりもした。
いつも話していたメンバーは皆、苗字で呼び合っていたが、K君にだけあだ名がついたのはもう卒業間近頃だった。
そのメンバーで最後にプリクラを撮りに行ったりカラオケに行ったりして、それぞれに別れを惜しんだ。
K君は地方の某国立大学の工学部への進学を強く希望していて、私は根拠もなくきっと合格するだろうと思っていた。
なかなか天然なK君は、入試当日に筆記用具を忘れる(?)ような失敗をやらかし、本人的にも自信がなかったみたいだったが、予備校へ『合格した』と報告に来た時は、私もとても嬉しかった!
そして彼は、高校卒業と同時に地元を離れていった。
けれど、その後もちょくちょくやり取りは続き、最初に年賀状を書いた時はとても喜んでくれ、わざわざ携帯に電話までくれた。
「年賀状ありがとうね。嬉しかったよ~!」
そんな素直なK君が、私はたまらなく愛おしかった。
大学3年の夏に、よく話していたメンバーで小さな同窓会を開き、地元へ帰ってきていたK君も来た。
結果的には、会ったのはそれが最後になる。。
ちょくちょくメールを送ったりしていたが、ある時送ったら、エラーメッセージが返ってきた。
どうやらいつの間にか連絡先を変えたらしかった。
他のメンバーとも疎遠になり、卒業後は私もメアド・番号ともに変えたので、完全に途絶えてしまっている。。
恋愛感情…と言うと、何か違うかな。。
上手く言えないけど、私の心の深いところで憶えているK君。
今頃どうしてるかな。。
学校が同じなら同窓会等で会える機会もありそうだが、個人的なやり取りがなくなった以上は、会うすべがない💨
会いたいな~。
お隣の桜
お隣には、父の同級生だった男性が住んでいた。
かつてはうちと同じように二世帯で住まれていたが、やがて娘さんは嫁に行き、お母さんが亡くなり、奧さんも数年前に亡くなり、最終的にはその男性が一人で暮らしていた。
それが昨年末のある日、うちのインターホンが鳴り、その男性が来られたので、父が出た。
しばらく話し込んでいたようだが、妙に考え込んだような顔で父が戻ってきた。
どうしたのか?と聞くと、その男性は最近になって全身癌になっていることが分かり、横浜の娘の近くの施設へ急遽入る為、もう明日引っ越すので、挨拶に来た、とのことだったと言う。
その男性は、父が小学生の頃、うちの隣に引っ越して来て、同い年だったので学校でも同じ学年だったが、極端に社交性の低いところがあり、隣に住んでいながら正直あまり仲良くはなれなかった、といつも言っていた。
しかし私や母からすると、とても誠実そうで、草木の世話が上手く子供好きで、私が小さかった頃は、けっこう可愛がってもらった記憶がある。
(大人になると、道で出会ってもなかなか挨拶をしてくれない感じではあったが😅)
その男性、聞くところによると大学は農学部へ進まれていたようで、庭ではキウイやアボカドなど、いろんな植物を育てられていた。
中でも、大きな桜の木が2本あり、春先にはいつも満開の桜を咲かせていた。
引っ越しの挨拶に来られた時、もうこの家は売ろうと考えているとの事だった。
父は、さほど仲良くなかったとは言え、ずっと隣に住んでいたかつての同級生の急な病と引っ越しの知らせには、さすがにかなりのショックを受けていたようだった。
あれから3ヶ月ほどが経ち、業者が来てお隣の家の中の家財道具等を2日かけて運び出して行っていた。
その約1週間後、お隣が土地を売った業者の方が来られ、数日後には家を解体するので、工事の間騒音などご迷惑をおかけします、と挨拶に来られた。
両親が出てしばらく話し込んでいたが、戻って来て話を聞くと、その立派な桜の木も2本とも抜いて更地にした状態で売りに出し、注文住宅を建てる予定だと言う。
さすがに桜の木を抜いてしまうのは残念だと両親も私も思ったが、どうすることもできない。
結果的に、今週の火・水曜に垣根が取り払われ、桜の木もあっけなく切られてしまった。。
この桜は、父が生まれた時にはもうあったというので、かなりの樹齢だと思う。
何も知らない桜は、今にも咲く準備を始めていた時に、突然切られてしまったのだと思うと、とても胸が痛い。。
結果的に切られてしまうにしても、最後の花を咲かせてやるまで待つことはできなかったものか?
業者の都合上、これ以上スケジュールを延ばすことはきっとできなかったのだとは思う。
人間の都合で簡単に切られてしまう木の運命が、なんだかやるせない。
きっとお隣も今頃、遠くから桜のことを想い、胸を痛めているのではないだろうか。
そんな事を考え、今週は少し悶々とした気持ちで過ごした。。
ブログという世界
ブログを始めて、1ヶ月が過ぎ…。
今思うことは
「世界は広いな~」
ということ。
自分が書くだけじゃなく、いろんな人のブログを読む機会が格段に増えた上で、思うこと。
今まで通りの生活をしてる中では、出会えなかった人達。
いろんな人がいる中でも、ブログをしてる人に共通してるのは、何かしら『伝えたい気持ち』に溢れているということだと思う。
いろんな立場、角度からの考え方、時には心から(魂から?)の叫びのようなものもあって。
そこに触れることが出来たことが、自分にとって一番大きな収穫だと思う。
直接会ったことすらなくても、書かれてる文章一つ読んで、人として素敵だな~と思える方が、たくさんいる!!!
世の中まだまだ、捨てたもんじゃないな✨
私の中に、そんな希望が湧いてきました。
だから、これからもどんどん、あなたのお話、聞かせて下さいね!!!😉